2016-11-15 第192回国会 参議院 法務委員会 第7号
もちろん、人を雇って使うということに慣れている雇い側だったらばそういうことはもう十分承知の上でやりますし、はっきり言えば、指導とか監督で言われなくても、最低これだけは雇う側として守らなくちゃいけないということを分かっていると思うんですけれども、やっぱり、その実習実施機関の中にはそうしたことに慣れていない、特に個人でやっていらっしゃるところ、それから従業員が本当にもう家内工業でやっていらっしゃるところ
もちろん、人を雇って使うということに慣れている雇い側だったらばそういうことはもう十分承知の上でやりますし、はっきり言えば、指導とか監督で言われなくても、最低これだけは雇う側として守らなくちゃいけないということを分かっていると思うんですけれども、やっぱり、その実習実施機関の中にはそうしたことに慣れていない、特に個人でやっていらっしゃるところ、それから従業員が本当にもう家内工業でやっていらっしゃるところ
あるところへ行ったら、アルミの加工をやっている、本当に家内工業的に二、三人でやっている企業さんなんです。大手のメーカーさんからプロトタイプをつくってくれというので、試作品をつくったんだそうです。それで、いよいよ仕事がたくさん回ってくるんじゃないかなというふうに思っていたら、中国でつくられちゃったんだそうです。日本のメーカーさんです。
とすると、こういう社会構造に制約された第一次産業の従事者であったり、それから人口減の中で構造的に過疎化している地方に張り付いている商店や家内工業的な中小商店は、これはやっぱり今大変な苦労があるというふうに見ています。売上げや所得向上はなかなか容易じゃないというのもあるのも事実でありまして。 金融政策で成果を出しておられる黒田総裁でございまして、これらの一次産業への政策はどうあるべきか。
○国務大臣(茂木敏充君) さすがアメリカのカリフォルニア大学でがん治療の研究で博士号を取られた古川先生という思いで今御質問をお聞きいたしておりましたが、培養などの細胞加工、今、医療機関自らが、言ってみると家内工業的にやっているという形でありまして、非効率にどうしてもなるわけでありますから、これをやはり外部委託できるような制度に変えていきたいと、そんなふうに思っております。
おっしゃったように、パソコンで、エクセルでどうと言われても、なかなかそこまでいかない、そういういわゆる零細な、家内工業とか家内商店街的なところもあると思いますので、大変だと思います。やはり、そういうお店に対しても、少しずつでも透明性を高めていくということがこれからの流れではないかというふうに思います。
イグサ農家を拝見しましたら、農家だからイグサを栽培するだけかと思ったら、イ業といって、自分のところで製織というか、そこまでして本当にほこりまみれでして、大変な家内工業を家族でされているわけですね。 私がお話を伺った若い農業者の方も、地元に帰って跡を継いだけれども、この十年で半分が辞めていったということをおっしゃっています。
多くの零細企業や家内工業が住居、田畑に隣接をして集中立地していた。戦前は軍需産業を支え、戦後は船舶、鉄道、自動車、建設など、大企業に石綿製品を納入する等々、基幹産業を支えてきました。石綿工場というのは大変劣悪な労働環境で、石綿の原料から糸や布を作るという最も石綿に暴露しやすい危険な作業、それを家族ぐるみで担っていました。また、工場外への石綿粉じんの飛散もありました。
政策グループなどの政治活動につきまして、私がたまたま代表者である以上、代表者としての政治責任を負う立場にあることは当然のことでありますが、代表者であるとはいえ、私もこの少数の秘書グループを抱え、家内工業のような状況で政治活動をやっておるわけでありますから、この政治活動の一つ一つの入金や支出を毎日毎日これを報告を受けたり、私自身がそのことを調査をしたりすることはほとんど不可能に近いと、これは正直なところであります
守屋さんのいろいろな仕事ぶり、いろいろなことを踏まえて、それは当時の防衛庁の言ってみれば家内工業的なところがどうも残ってしまっている、したがって、こういうことであっては、我々は、反対している例の給油の話、あるいはいろいろ大事なことについて、防衛省として機能するにはやはり無理があった、こういうふうに言わざるを得ない。
そういうものが残存していれば、そこで農村を復活したり、そこに帰還したり、そこで何らかの家内工業から始まる経済活動に着手する、これすらもできないということになりますので、平和構築の出発点が、このような通常兵器で、かつ、戦時を超えて残存するものの除去、及びこのような兵器の、対人地雷については既に禁止条約がありますけれども、非合法小型武器の軍縮なども国連プロセスを通じて今推進しているところです。
特に家内工業的な皆さん方が大変不安を持っていたわけでありますが、その経過について教えていただければ有り難いと思います。
私は、今回の事故は、先ほども申し上げましたように、典型的な家内工業と言いましたのは、一般の運転手といいましょうか、会社で、このような二十一歳の、しかも昨年の夏に二種免許を取ったばかりという人を本当に雇うかどうか。自分の弟だから、あるいは兄貴のためだからということでハンドルを握っておった、済まんな、辛抱せいよというような形で過酷な労働を強いられておったのではないかな、こんなふうにも思うんです。
今お話があった大阪の泉南ですけれども、ここはかつては紡績工場がたくさん集中していたところでありまして、その下請の下請の下請といいますか、例えば先ほども問題になった防火服とか防火のための消防団が使う手袋とか、石綿の入った、そういう防火対策のものを家内工業といいますか、むしろ内職として、手内職として一般家庭の主婦の方が夜なべをしてつくっておられたということが過去にあるわけで、そういう人にとったら、自分がどこでその
しかもこれが、実は家内工業といいますか、手内職でずっとつくられてきたわけでありまして、そういう意味では、大阪が非常に飛び抜けて患者がこの辺にも多いということも言われているわけでありますけれども、歴史的なそういう流れからいきまして、そういった人たちも、やはりこのアスベストとのかかわりを証明することは今となってはもう大変難しいことになっているのではないかと。
私はたまたま選挙区が岐阜でして、私は岐阜の川島町、今は各務原市になりましたけれども、そこに住んでおりまして、そこはほとんど撚糸の家内工業ですね、松田先生も御存じですけれども。ほとんど機械は動いておりませんよ。廃業ですよね。それから、岐阜の繊維も、中小企業の皆さんはほとんど廃業、転廃業ですよ。全部とは言いませんがね。
また、豊岡市の場合は、これは特殊な事情かもしれませんが、かばん産業がありまして、いずれもが、もう二人、三人の家内工業的な工場が多い、内職も含めて二台、三台のミシンを使いながらつくっている、そういったところが千数百軒あるとこう言われております。
やっぱり、そういう新しいことを使っていけばクリーニング屋さんもまた生きる道はあるんだなというふうに私実は思ったわけでありまして、最近のように、だんだんと大型化をしていって、小さな家内工業等でおやりになっているところがだんだんつぶれていくという状況でございますけれども、そういう新しい方法を取り入れれば、何か環境的にも非常に優しくて、悪くないんだそうでございまして、そうしたことを考えますと、新しいそういう
あそこでは親企業が出ていって残った家内工業だけで空洞化が生じて、どうすっぺという話になったときに、我々だけで異業種が寄り合ってできることをやろうじゃないかと。できることで一番最先端の、じゃ人工衛星打ち上げるか、まいど一号という名前まで付いていました。間もなく打ち上がるんだそうです。
実際、日本でも、一九二〇年代の大不況の折には、造船工業等で大量の解雇が発生したわけでありますが、そうした労働者、技能者の多くは新しい家内工業的なビジネスを始めたわけでありまして、そういうものが日本の中小下請企業の原形を形づくったわけであります。しかし、今次不況を顧みますと、失業率の増大にもかかわらず創業の増加が見られないということであります。
つまり、家内工業あるいは地域産業の一つの有力な目玉を持っているということですね。 あと、宝石類もまだこの国から掘り出すことができます。そして、伝統的なものに、先ほど清水参考人も言われましたように、カラクルという特殊な毛皮を生産する技術を持っています。羊をもっとどんどん増やしていけば、このカラクルの生産も増えていきます。